江戸時代の伊豆諸島は幕府の直轄領でその代官によって行政が行われていました。
この時代になると現存する書物も豊富で、島の統治系統、課せられた年貢など当時の様子を詳細に知ることが出来ます。
そのころ、式根島には定住者はおらず、流人を新島、八丈島に運ぶ際の仮泊港として、あるいは年貢の塩を臨時に精製する場所、また湯治場、漁場であったようです。
仮泊港としては江戸時代前の関が原の合戦の後、敗将宇喜田秀家が八丈島に流刑にされた際、泊港で風待ちをしたとの言い伝えも残っています。

古くは室町時代から天然の港として使われていた泊海岸