古来より離島、とりわけ小さい島々にとって水の確保は生活上最も大きな問題でした。
「神津島の神々」という伝説の中で伊豆七島の中で3番目に水に恵まれていると記されている新島も例外ではなく、ジェット式の自給水道化が進んだ昭和初期にようやく安定供給のめどが立ちました。
式根島にいたっては、井戸あるいは屋根水(雨水)で生活用水をかろうじて確保するという状況が長らく続きました。
昭和45年に一日に清水200トンつくる脱塩交換装置を用いた簡易水道が設置され、水との戦いに終止符が打たれるかと思いましたが、式根島の地下水は絶対量が少なく、夏の観光シーズンにはすぐに水が底をつくという状況でした。
式根島としては当然、他の水源を求めるしかなく、新島からの海底送水を願います。
水不足への不安から新島の住民からの反対が少なからずありましたが、ついに昭和51年、新島からの海底送水施設が完成し、今日の安定供給にいたっています。
島に今なお残るまいまいず井戸