江戸の昔、年貢の取立てがとても厳しい代官がいました。
島の人々はその日の暮らしにも困る中での厳しい取立てに
ほとほと困り果てていました。
そんな中の1月24日、代官が各島を巡回したときのこと。
大島から新島へ渡る途中、島の若い衆が相談して、
船の栓を抜き、船ごと代官を海に沈めてしまいます。
ところがそれからその1月24日になると、
死んだはずの代官が海から現れ、島の人々を苦しめたといいます。
それから、その日を親だまり、翌日25日を子だまりと言い、
夕方早くから仕事を休み、
音も立てないように早々に布団に入り、
外に出なくてもいいように家の中に便器まで用意したそうです。
不思議なことに、かんなんぼうしの日には、
どんなに風が吹いていても、ピタリとやみ、
ナギになるときがあるといわれています。
一説には、島を徘徊するのは、代官ではなく、代官を海に沈めたものの、
後難を恐れどの島からも助けてもらえなかった
25人の若い衆だというものもあります。